個人のデータが常時計測できる時代に
デジタル技術の発達と浸透によって、人が常時ネットワークに接続され、センシングした生体情報や行動データをAIでリアルタイムに分析可能な時代になってきました。それらの情報から個人の感情を推定して、ビジネスに活用する企業も現れています。
自分の直感より計測された数値を信じる
個人の生体や行動に関するデータの活用は進んでいくでしょう。さらに、そうしたデータの可視化が一般的になれば、自分の直感よりデータを信じる人が増えていくかもしれません。たとえば、自身の誕生日会で、「楽しい」と感じる主観よりも、「楽しんでいたのは1時間だけで、あとは退屈に感じていた。プレゼントをもらったときの満足度は30%」といったデータが突きつける客観的な事実を重視するようになるわけです。それは、「悲しい」「おいしい」といった他の感情・感覚についても同様です。外部に蓄積されたデータを「第2の脳」として捉え、データと相談しながら意思決定を行う人が増えていくと考えられます。
データを極力もたないライフスタイルも登場
一方で、データで示された「自分」と自己認識との間にギャップを感じ、疑問を抱く人も出てくるでしょう。そうした人々は、データによって自分が規定されることをリスクと捉え、データをもたない身軽さに価値を見出すようになります。データはできるだけもたず、つくらず、使わせない。個人データの取得を前提とした社会保障などが普及するかたわら、こうした「データミニマリスト」もまた増えていくかもしれません。